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外国人居留地から地域の名物三大中華街へ

日本一を探す旅。



「三大○○」を探していると、外国のものと比べても最大となるものも出てきます。



今回は日本に異文化を持ち込んでくれ、一つの町になってしまった「中華街」。



日本に根付くことで、「中華中華」はもちろん「日本中華」の発展も遂げた場所ですね。



実は「中華街に訪れる中国人は何故?」という質問の答えはここ。



「日本中華」を味わいに来るのです。



そう考えると、普段食べている中華料理って、どれくらい中華なんですかね・・・



『日本三大中華街 - 横浜中華街・神戸南京町・長崎新地中華街』



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一言で中華街といっても、中国で違う地域色があるように、中華街にもそれぞれ違う人種や地域の人が集まっています。



例えば東アジア最大の中華街である「横浜中華街」。



1859年に横浜が開港。



外国人居留地が作られ、欧米人が集まるのと同時に、中国人商人や取引仲介者が来住しました。



その背景から、香港などの広東省方面出身者が多いのです。



日清戦争や関東大震災、世界大戦など、世界的な混乱もありましたが、イギリス植民地でもあった香港とはその関係は続き、今に至ります。





変わって長崎新地中華街は、江戸時代の鎖国下でも外国との玄関口としてあけられていた背景もあり、対中貿易港として認められていました。



そのため当時交流のあった福建省出身の人が多く集まります。



現在も長崎市の姉妹都市でもある福建省福州市。



1986年には、福州市から職人が現地の資材を持ち寄り中華街の整備協力。



長崎新地中華街は、福建省の色が非常に濃くでた作りになっているのです。





神戸市中央区の元町通と栄町通にまたがる狭いエリアの通称である「南京町」。



実は正式な地名は「南京町商店街振興組合」。



中国風の意匠を特徴とするチャイナタウンなんですね。



1868年に神戸港が開港し、外国人用の居留地が設けられました。



当時、清国との間には通商条約はなかったため、華僑は居留地内に住むことを許可されておらず、隣に住み始めたのが南京町の始まりとされます。



1945年の神戸大空襲で全焼してしまい、戦後は主に進駐軍相手の歓楽街として復興されました。



そう。



つまり中国人による背景ではなく、日本人による商店街なんですね。



観光地化も進んでいますが、生活の一部として利用している人が多いのも特徴です。



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